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目が覚めたら救急車が来ていた…脳腫瘍と戦った横山知伸がたどり着いた第二のサッカー人生【ごはん、ときどきサッカー】

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クラブとの契約が満了になり

次のチームを探さなければならない

そんな状況だったクリスマスイブの午前2時

ふと気付くと救急隊員が自分を待っていた

 

身体を調べると大きな病巣が見つかった

発見から1週間で手術になる

病魔に襲われながら見事回復した

横山知伸にオススメの店を聞いた

 

2018年のクリスマスイブ、僕は救急車で運ばれた

2018年の12月24日でしたね。23日に高校の同級生の結婚式が地元の大宮であって、その夜実家で家族と一緒に寝てたんですよ。そうしたら夜中に起こされたんです。スマホ見たらまだ深夜の2時ぐらいで、「どうしたの?」って嫁に聞きました。

 

僕は普通に寝てて起こされたと思ってたら、子供3人と嫁はもうダウンジャケット着て、「パパ痙攣起こしてたから救急車呼んだ」って。「え?」って感じです。そしたら寝室の入り口のところに知らない人立ってたんですよ。僕は「うわ! 泥棒だ!」と思ったんですけど救命士の人たちで、もう到着してたんですね。

 

実家の前の道が狭くて救急車が入ってこれないんで、僕は歩いて救急車に乗って車内で救命士の人と会話したんです。その時家族も一緒に乗ってて、「旦那さん、もう普通に喋れるんですけど、どうしますか?」みたいな感じで言われて。自分は「もういいんじゃない?」と言ったんですけど、嫁が「いや、ちょっと病院連れてってください」って。

 

それで近くの医療センターのところに行って一応って全身検査したら「脳腫瘍があります」って。「ん?」っていう感じですよ。僕は現実逃避して「いや、大丈夫、大丈夫」みたいな、自分のことじゃないなみたいな感じでした。

 

「すぐ入院してください」と言われて、患者用の白衣みたいなのを着て、嫁は日用品を取ってきてくれました。それで入院して、これからどうするかという話になったんですけど、その最初行った病院だと脳神経外科の常駐している先生がいないから手術できないと言われたんです。違う病院を紹介しますって。

 

それで「ちょっと待ってください」って、それまでお世話になったチームドクターの先生や、お医者さんを知ってそうな人に連絡して、いろいろ情報をもらったんです。そうしたら、高校の同級生にラグビーのトップリーグでプレーしてる友達がいて、「チームメイトに大学病院で同じようなオペした人がいる」って大学病院を紹介してくれたんですよ。

 

12月26日に大学病院へ最初の病院で撮影してもらった頭の画像を持って行ったんですけど「これはすぐ、手術しないとダメですね」って。そこから1日実家に帰って28日に入院して、大晦日に手術してもらいました。ちょうど大晦日だったので手術室が空いていたみたいでした。

 

耳の上から頭頂部を通って反対側の耳の上まで切って頭蓋骨を開けて、そこから腫瘍を取り除きました。たぶん4時間ぐらいの手術だったと思います。術後しばらくしたら血が滴り落ちてきて、目の下が真っ黒になりましたね。まだ頭の一部がへっこんでたりしてます。

 

そのあと集中治療室(ICU)で年越ししました。オペが終わってICUに入ったら、看護婦さんから「紅白見ますか?」って聞かれて、「いや大丈夫です」って言ったんですけどね、なぜかずっと流れてて、そこでEXILE見ながら「命って大事だ」と思いました(笑)。

 

嫁が多分一番大変だったかなぁって思います。倒れたのが24日のクリスマスイブだったんですけど、一応プレゼントはサンタさんが配ってくれたんですよ。だけど本当にバタバタした年末年始になりましたし。

 

気になっていた「目がチカチカする」という違和感

病巣は直径で7センチぐらい、成人女性の握りこぶしぐらいあったって教えてもらいました。ただ、この大きさの腫瘍がどれくらいのスピードでできるとか、いつからあったかとか分からないらしいんです。でも、そう言えば思い当たる節もあって。

 

札幌に在籍してた2018年の1月に沖縄でキャンプがあったんです。そのころ「なんか目がチカチカするな」ってことが多くて、何かおかしいっていう感じはあったんですよ。とにかく光が眩しいんです。咳もすごく出る時期とかがあって。

 

病院に行ったんですけど「目はドライアイですね」って言われて目薬処方されて、ずっと点眼してました。咳は薬で止まったんですけど、目は全くよくならなくて。夏に熊本に移籍したんですけど、そのころもまだ目が何かちょっとおかしいという違和感みたいなのはありましたね。

 

オペしたあと、病院の施設みたいなところでリハビリしたんですけど、そのときには眩しい感じとか全くなくて。病巣がちょうど目の後ろだったんすね。ドクターから「多分視神経の近くに病巣があって、神経が圧迫されて見えにくかったんじゃないか」って言われました。だけど場所が良かったんです。運動神経とか後遺症残るようなところじゃなかったんで。オペ終わって2日後ぐらいにはもう歩いてました。

 

最初2週間、リハビリみたいなので入院して、その後は1回、1週間ぐらい家に帰ってたんです。それから治療の入院みたいなので、もう2週間、3週間ぐらいかな。トータルで1カ月強ぐらい入院してました。

 

その病院って、病室に子供が来られないんです。病気を持ってこられたり感染したりするのがいけないからってフロアに入れないんですよ。だから多分子供たちにしたら「パパがやばいみたい」な感じだったと思うんです。

 

入院して最初の2週間は子供に会えなくて、一度帰宅したときに顔を見てすごく嬉しかったのを覚えてます。だけど入院中も、毎日いろんな知り合いの人がお見舞いに来てくれて、それはすごい助かりましたね。誰も来ない日がなかったんで。嫁も毎日来てくれて、本当それも「ありがとう」ですね。

 

退院した後、2019年シーズンの札幌の開幕戦はアウェイの湘南で、その試合に行ったんです。大学の同級生で、引退して湘南のフロントに入った人がいて、「ヨコ、ちょっと試合見に来なよ」って誘ってもらったんですよ。

 

試合を見に行ったときは放射線治療をやってたころだから顔がパンパンで、目も開いてなかったですね。それで札幌のロッカーに行ったんですけど、チームスタッフに会釈しても全然気付かれなかったんです。「あれ?」って。でも確かに別人みたいな顔でした。最後にみんなでロッカーで写真を撮ってくれて、それは本当にうれしかったです。

 

それからもう一つ、忘れられないことがあって。スタジアムに入ったら札幌のサポーター席に横断幕が出てたんです。「頑張れ横山知伸 回復を祈ってる」って。なんか、そのときって……うるっとしちゃいました。そのあと僕の次のチームが決まるまでずっと出しててくれて、岐阜に決まった後は「活躍を祈ってる」と変えて出してくれて。すごいうれしかったですね。

 

それから他の所属したチームでもいろいろ出してくれてたんです。川崎はゼロックススーパーカップのとき「ピッチで待ってるぞ! ヨコ!!」っていう幕と、自分が所属してたときのユニフォームのビッグフラッグを出してくれて。C大阪は「ヨコさん 大阪からも応援してます またピッチで会いましょう!!」、大宮は「横山 俺たちもついてるぜ」って。みんな写真に撮ってスマホに入れて持ち歩いてます。

 

そういう横断幕がDAZNにも出るじゃないですか。試合を見てたら映ってたし、現地で試合を見てる人も「こういう横断幕出てるよ」って毎回送ってきてくれて。それでいろんな人とコミュニケーションを取れました。

 

病巣取ったところは頭の中って最初、空っぽなんですよね。でも脳って、入ってきたものを受け入れるらしいんですよ。だからなくなったら、自分たちでなんかちょっと増やして、1年後には結構埋まってきてました。もうほとんど隙間はありません。

 

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現役時代は不完全燃焼で終わってしまった

2019年は熊本への期限付移籍が終わって、札幌との契約も終わってたのでチームがない状態でした。そんなときだから入院中になんかいろいろ考えるじゃないですか。引退とか「もうサッカーできないのかな」とか。そんなとき嫁から「こういうときだから何かやりたいこととか考えておけば」みたいなこと言われて、それでいろいろ考えてたんす。

 

そこで「やっぱりサッカーやりたい」と思ったんですよ。「体動くんだったらボロボロになるまでサッカーやろうかな」って。ただ抜糸した後は傷口が濡れたりしたら良くないみたいで、運動してなかったんです。

 

そのうちに放射線治療も始まって、髪の毛根焼けちゃうんで頭のてっぺんだけ髪がある感じになったし、体調も、放射線を当ててるときは大丈夫なんですけど、平日に当てたら土日になると反動みたいなので、顔はむくんじゃって、身体もだるい感じになってたっていうのはありました。

 

それが多分、2カ月弱ぐらいの期間続きましたね。放射線治療の間って、なんかやる気でないんですよ。退院しても家でゴロゴロして、子供を幼稚園に送っていくぐらいしかしなくて。でも主治医の先生が「やる気スイッチみたいなのは、あるとき急に入るから大丈夫」って言ってくれて、確かにしばらくしてそういう生活から抜け出せました。

 

4月ぐらいになったら最初は散歩からできるようになって、そのあと通っていたジムやパーソナルジムに行くようになって、ちょっとずつ体を動かしてたんです。そうしたら、大宮のスクールで仕事をしてる同級生から「ちょっと遊びにおいでよ」って誘ってもらって、小学生と一緒にサッカーしてたんです。

 

そのうちスクールのスタッフがやるサッカーに呼んでもらえるようになって、そこから自分が通ってた中学のチームに練習行くようになり、そこである程度できるようになってから出身の帝京高校に練習参加させてもらったんです。

 

自分の同級生が高校のコーチで、監督やコーチにも面識あったんで、ちょっとお願いします、って。そこで3カ月ぐらい、夏も高校生と一緒に練習して身体が元に戻ったから、今からどこかJクラブに入りたいと思ったんです。

 

それでお世話になって代理人の方と話をしたら、その年はどこかのチームに入るだけで、その次の年に勝負したほうがいいという考えだったんです。けれど、僕は何とかチームに入って試合に出たいと思ってました。それに自分は所属チームがなかったんで、いつでもどのチームにでも入団できると思ってたんですよ。

 

でも実際は試合に出るための登録期限があって、すぐチームを探さなきゃいけないぐらいのタイミングでした。代理人の人にすごい動いてもらって、自分も知ってるサッカー関係者の人に連絡取りまくって。30歳過ぎてるし、もう同い年の選手とかも引退するようになってて「これ、どこか入れればいいかな」って思ってました。それで何とか岐阜に入れてもらったんです。

 

岐阜では最初1週間、テスト生として練習参加したんです。岐阜は結構暑くて、練習試合で60分プレーしたんですが、「まだイメージどおりに身体は動かない」と感じました。それでも加入させてもらえたので、「ここからコンディションを上げていけば大丈夫だ」と思ってたんです。

 

でも最初に無理し過ぎちゃって。若手の2部練習にも参加してたら調子を崩したりしてました。それでもだんだんコンディションが上がってきて、最後の2試合はベンチに入れたんです。でも結局出番は来ませんでした。

 

チームに入ることができててすごくうれしかったけど、せっかく取ってくれたのに試合に貢献できなかったので悔しさが残るシーズンでした。手術というより、休んでた影響が出たという感じです。

 

それで契約満了になったんですが、自分としては次第に調子が上がってきてると分かったんで、「まだ現役を続けたい」という思いになってチームを探したんです。地域リーグのチームからも誘ってはいただいたんですけど、なるべくJリーグでプレーしたいという願いはあって。でも、なかなか声はかからなかったですね。

 

それで2019年1月の終わりにJ3のチームから打診があって、練習試合に45分出たんですけどダメで。そのころ東南アジアのチームから興味を持ってるという話ももらったんです。ただ、そのとき考えなきゃいけないことがあって。

 

サッカー以外のことも考えたんですよ。東南アジアのチームって給料はよかったんで家族を連れて行くという選択もあったんですけど、日本人学校が近くになくて、そういう環境を考えたら単身で行くことになるだろうし、そうなると病気のことを考えるとやっぱり1人でいるのは怖くて。

 

もしも、2018年12月24日の自分が痙攣を起こしたときに家族が一緒にいなかったら自分の命はもうなかったでしょうし。それで家族と命を考えたときに、選択肢が「サッカー選手」というのはなくなっちゃいました。

 

自分は不完全燃焼で終わっちゃったけど、それもサッカー人生なのかなって。「たら・れば」を言い始めたらきりがないじゃないですか。選手のときって自分なりに一生懸命やってるつもりでも、結果を出せなかったのは自分自身の責任なんで。今後の人生にそういうところを生かしていきたいと思います。あとは家族を大事にしようという気持ちが強くなりました。

 

 

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紆余曲折あったプロまでの道のり

元々僕ってプロになるところもいろいろあったんです。帝京高校では3年生のときのインターハイにも出て優勝してるんですよ。でも大学への推薦は落ちちゃったんです。高校サッカー選手権で結果を出したらどこかに行けるかも、と思ってたんですけど、ベスト8ぐらいで負けちゃって、そうなるとダメで。

 

私立の大学からちょっとだけ話はあったんですけど、母子家庭だったから経済的な負担の少ない国立大学に行きたいという気持ちがあったんで断って、選手権が終わったらすぐ受験勉強に切り替えました。でも合格できなかったですね。

 

浪人したんですけど、家じゃ勉強できないと思ってたから予備校に通いました。自習室があって、しかもその席の取り合いがないところがいいと考えたんで、大手じゃなくて中堅にして、朝9時ぐらいから授業始まるんですけど、そこからずっと20時までとか勉強してました。それで結局早稲田大学に行ったんです。私立なんですけど(笑)。

 

大学ではサッカー部に入って、3年生になって就職活動を始めるときに、自分としてはサッカー以外でやりたいことってあんまりなかったんですよ。それに自分の武器が何なのかっていうのも分かってなくて。

 

サッカー部の監督が元清水の大榎克己さんで、僕は進路相談したとき「サッカー選手になりたいです。どこか練習参加させてください」ってお願いしたんです。でも大榎さんは「ダメだ。練習参加で入るのは難しいから試合で結果出せ」っておっしゃってたんです。

 

それで3年生のときの12月のインカレで勝ち進んだんです。そうしたら大榎さんの言葉どおり、J1のチームから「キャンプに来ないか」って誘ってもらいました。ところが決勝で駒沢大学に大敗したらその話はみんななくなって、「これは就職しかないか」って感じになったんです。

 

そのとき、交渉力を身につけよう、営業として力をつけたいと思って、すごく厳しい環境だろうと思って証券会社を選んだんです。そこで営業ができれば、多分どこでも戦っていけるだろうって。

 

でも証券会社の面接のときも「自分が一番やりたいのはサッカーです」っ言ってたんです。「サッカークラブは自分が望んでもオファーがなければ行けないところですけど、まだ諦めてないところがあります」っていうのも伝えてました。「もしオファーが来たら、御社の内定をいただいても辞退しさせていただくかもしれません」って。それでもありがたいことに何社か一応内定をもらいました。

 

4月1日に内定をもらって、そのあとまたサッカーに打ち込んでたら12月のインカレが始まるころに「お前に興味を持ってるチームがあるらしいぞ」って人から聞いて。大榎さんに「どこですか?」って尋ねたんですけど教えてくれないんです。

 

そのうちよくグラウンドに来るOB会の方から「お前、聞いてるか?」って言われたんですけど、まだ何も知らなくて。その方は元富士通の人だったみたいなんですけどね。

 

そうしたらリーグの最終戦が終わったあとに大榎さんから「川崎の話があるぞ」って。それで川崎のスカウトの向島建さんから電話が来て「獲りたいと思ってるから今度話をしよう」って言ってもらったんです。向島さんも元清水だったから大榎さんの昔のチームメイトですよね。そのときはめちゃくちゃうれしかったですね。

 

それで内定辞退の電話をしたんです。多分面接官の人とかも「多分こいつ、うちの会社には来ないだろうな」と思ってたんでしょうね。オファーをもらったという事情を伝えたら「そういうことでしたら、サッカー選手として頑張ってください」って言っていただいたんで。

 

その言葉はありがたかったですね。それですんなり気持ちよくプロ選手になれたんです。サッカー始めたときからの夢でしたから。

 

今こうやってプロサッカー人生を振り返ってみると、なんかすごい楽しかったですね。苦しいことも多かったですけど、サッカー選手になれてよかったなって。いろんな人と巡り合えたっていうのがありました。多くの人に支えられたなって感じましたね。

 

今は北海道コンサドーレ札幌アカデミーのフィジカルコーチとして、まだ名ばかりのフィジカルコーチですけど頑張ってます。正直、病気になる前って、サッカーの世界とは別の世界で、営業として頑張ろうかなっていう気持ちがあったんですけど、病気になって、サッカー界の人にいろいろ支えられたっていう感謝があって、サッカーの仕事に関わっていこうって思い直したんです。

 

サッカーの中でも仕事ってたくさんたくさんあるじゃないですか。その中で何をしようと考えたときに、リハビリ中もパーソナルジムに行ってたし、現役のときから筋トレが結構好きだったと思い出したんです。大学もスポーツ科学部っていう身体のことについて学ぶ学部だったんで、ジムの人から「フィジカルコーチとかってどう?」みたいな感じで言われたときに、点と点が繋がったみたいな感じになりました。

 

欲張りなんですけど、フィジカル、コーチ、監督ってできたらと思うんです。そのとき最初にフィジカル的なことを学んでたら、コーチとしても練習の中でどれぐらい強度にすればいいか分かってくるんじゃないかと思って。それで入り口をフィジカルコーチにしてます。それから若いときは体が動かせるからそういう現場の仕事ができると思うんですけど、動けなくなってきたら、強化部やスカウトをやってみたいという気持ちもあります。

 

それに高校サッカーにも関わってみたいなって。それで今、クラーク高校のフィジカルコーチもやってます。札幌のアカデミーと時間帯がかぶっちゃってるんで2週間に1回ぐらいしか行けないんすけど。ただ、札幌のクラーク高校は4月からサッカー専門コースみたいなのができるですよ。そういう新設された学科なんか面白そうだなって思ってます。

 

夢は膨らんでます。でも、それを叶えるためにもいろんなやっぱ知識を学んでいかなきゃいけないと思ってます。あとは資格ですね。今年、日本サッカー協会にフィジカルコーチのライセンスができるんで、それを取れるように勉強していきたいと思います。

 

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好きなお店はいっぱいあるんですよ

好きなお店ベスト3ですか? いやあ優劣付けがたいですね。いっぱいあるんですよ……。

 

じゃあいくつか思いつくままに行きますね。札幌って雪が深いからシーズン前のキャンプって沖縄と熊本に行くんですよ。その熊本キャンプ中に行った「馬しゃぶ」の店が美味しかったですね。毎週のように行ってました。「桜庵」という店でした。今はネット販売もやってるようです。

 

あとはイタリア料理店ですね。宮ノ森にある「トラットリア デッラアモーレ」というレストランです。現役のとき、練習場から家に帰る途中にあって、パスタが美味しいんです。その中でもカニとエビのトマトクリームソースが一番好きだし、夏はイカスミのパスタがすっごいうまいんです。去年の結婚記念日もそこに行きました。

 

大好きな札幌の店も言いたいんですけど、あんまり店の名前を教えたくないんですよ。定額で食べ放題、飲み放題のお寿司屋さんです。家族でやってる店で、最初はクラブの人が教えてくれたとこです。

 

魚の焼き物、煮物、串とかなんかいろいろ出てくるんですよ。サラダとかも。すごい高級なトマトなんかも「あれ食べる?」って出してくれて、握りが出てくる前にお腹膨れて。それで最後にお寿司を食べて、1人1万2,000円ぐらいなんです。場所だけヒントを出しておきますね。東本願寺からススキノの近くで、でもススキノじゃないんですよ。ぐるなびで探してみてくださいね。

 

桜庵
〒860-0802 熊本県熊本市中央区中央街2-1
4,500円(平均)
トラットリア デッラアモーレ
〒064-0951 北海道札幌市中央区宮の森1-4-1-21 パナシェ宮の森1F
4,000円(平均)

photos by Shinichiro KANEKO

 

 

横山知伸 プロフィール

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帝京高校、早稲田大学を経て2008年、川崎フロンターレに入団。セレッソ、大宮、札幌、熊本とチームを渡り歩き、2019年の岐阜FCを最後に引退。現在はフィジカルコーチとして第二のサッカー人生を歩む。1985年生まれ、東京都出身。

 

著者プロフィール

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佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本蹴球合同会社代表。

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